ペットボトルロケット

創作物を咀嚼しては、ただ面白いとだけ吐き捨てた。

ペットボトルロケット

まだ六月にもなっていないというのに初夏を思わせるギラギラとした太陽光が降り注ぐ中公園を散歩しているとペットボトルロケットが空高く舞い上がっていくのが見えた。

彗星を思わせる速度で垂直に上昇していく流線型のペットボトルロケットを見て、僕は「青春」の二文字を頭に浮かべた。

無論、水と圧縮された空気の反作用を動力源とするペットボトルロケットと青春との間には何の因果関係もない。ペットボトルロケットが青春であるか否かを街頭アンケートで調査したとして否定意見が九割以上に上る結果に終わるのは火を見るよりも明らかだろう。

ならば、僕の人生の中でペットボトルロケットと青春に因果性を持たせるような何らかの出来事があったのかと考察してみるがすぐにそんなことはないという結論に至る。単純な話、僕の今までの人生の中で青春と関係のある出来事が一切なかったからである。

 ならば、青春を知らない僕がなぜペットボトルロケットに青春を重ねることが出来たのだろうか? もしかしたら、と僕は考える。僕は今、自分では気づいていないだけで青春の真っ最中なのかもしれない。だからこそ、自分の中に「青春」の二文字が浮かび、その言葉の納める場所を知らない僕はふと目に付いたペットボトルロケットにその言葉を当てはめたのかもしれない。

 

そんなことを思案しているうちに、H2Oをすべて吐き出したペットボトルロケットは空中で静止するとまるで僕のこれからの青春を暗示するかのようにまっさかさまに落下し始めた。

物凄い勢いで下降していくその流線型をした”青春”は地面にぶつかり「ガラン」と情けない音を立てると悲鳴を上げながら地面をのたうち回った。ゴロゴロと転がり、風前の灯のようにゆらゆらと揺れる”青春”は、やがて事が切れたかのように動かなくなった。