ペットボトルロケット

創作物を咀嚼しては、ただ面白いとだけ吐き捨てた。

あの日見た花の名前は知る間も無くたった三百三十分の存在として儚く散った。

huluにて「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」が配信されていたので、土曜日を使って一気に見てしまった。結論から言って、駄作だった。そのことについて、今から話そうと思う。

 

 

 

 

以前にラブライブの二期をニコニコ動画の一挙放送で見たときの感想が「もったいない」だった。理由としては途中まで挫折と苦悩とそれを乗り越える様が描かれているにも関わらず、終わりがあまりにもあっけなさすぎたからだ。いや、あっけないという言葉すらそれこそもったいないくらいにであった。

 

そのことを知り合いに話すと彼は「それは一挙放送で見たからだよ」と答えた。「一気に見るのと実際に間隔をあけてみるのとでは訳が違うのだよ」と。

それを聞いた当時の僕はそんなわけあるもんかと大層憤慨したのを良く覚えている。一挙で見ようがリアルタイムで見ようが同じ作品の同じ映像を見たことに、代わりはないからである。しかし、その時の僕の考えは間違えていたことを今回身をもって思い知った。思い知らされた。そう僕は「あの花」を全話見たにも関わらず、あの日見た花の名前どころか登場人物の名前すら一人として鮮明に記憶していなかったからである。

 

 

あの花」は人と人との間に出来た溝を埋める話であり、止まってしまった時を再び動かす話である。故にそのためには時間がかかり、夏から始まった物語も気が付けば肌寒く感じる季節へと変わっていく。辺りを行き交う学生の姿が夏服から冬服に変わったことがそれを顕著に現している。しかし、たった330分間の出来事でしかなかった僕にとっては時間の経過などただの記号でしかなく、ただただ違和感を覚えるだけだった。そう、僕にとって『めんま』という存在が現れ、そして消えていくまでに330分しかなかったのである。

 

ふと、三谷幸喜が三夜連続放送の長時間ドラマ「我が家の歴史」の放映前に糸井重里との対談で口にしていたことを思い出したのでここに引用しておく。

 

 三谷  つまり、8時間のドラマを
   8時間かけて観ました、と。


糸井  そのとおりです。
   まぁ、CM部分の
   なにも入ってないところは、
   さすがに早送りしましたけど‥‥。


三谷  あ。それ、やっちゃったんですか?


糸井  はい‥‥‥‥えっ?


三谷  あのCMの時間が大事なんですよ。

(中略)


糸井  ほんとにおもしろかったです。
   観はじめたら、あっという間というか、
   8時間を一気に‥‥
   ま、実際には、一気にじゃなくて
   2日に分けて観たんですけど。


三谷  ええっ!


糸井  ‥‥え?


三谷  2日に分けて観ちゃいましたか‥‥。

糸井  まずかったですか‥‥
   やはり、一気に?


三谷  とんでもない!3夜連続のドラマなんですか    ら、3日に分けて観てもらわないと‥‥。


糸井  ああっ!


三谷  1回ずつ、観おわって、
   「つぎはどうなるんだろう?」という気持ちで
   1日待つっていうのが大事なんですよ。。

 

また、同対談内で糸井重里はこんなことも述べている。

 

もう時効だろうということで白状すると、
かつてぼくは『ネバーエンディングストーリー
という映画を観て感想を書く仕事のときに、
どうしても時間の都合をつけられなくて
早送りで観たことがあるんです。
時間がないから早く終わらせたくて

(中略)

早送りしたその映画を、ぼくは当時、
それほどおもしろがってなかったんですけど、
あとで観たらおもしろかったんですよ。

 引用元:ほぼ日刊イトイ新聞 - 三谷幸喜脚本の8時間ドラマ 『わが家の歴史』を、 観ると決めた。

 

 

糸井重里が三日かけるべきドラマを二日で見たように、94分の映画を早送りにしてみたように、僕はメンマと共に過ごす時間を自ら大幅に短縮してしまったのである。しかも糸井重里は「我が家の歴史」に関しては三分の二にしか短縮していないし、「ネバーエンディングストーリー」にしたって二倍速だと考えても二分の一にしか短縮していない。しかし僕が短縮したのは七十七分の七十六である。僕が短縮したのはアニメを見る時間ではなく、夏の獣として現れためんまと共に過ごす時間そのものだからだ。本来の人間が十一週、約三か月にも渡ってめんまと、超平和バスターズと過ごす時間を僕はたった一日の出来事にしてしまったのだから。

 

 

 

あの日見た花の名前は知る間も無くたった330分の存在として儚く散った。僕の手に残ったのは駄作という烙印を押された「あの花」という作品だけだった。本来、僕の胸の中に残るハズだった名作という烙印の押された「あの花」はもうこの世のどこにも存在していない。二度と会うことだって、ない。