ペットボトルロケット

創作物を咀嚼しては、ただ面白いとだけ吐き捨てた。

『はつ恋』ツルゲーネフ

 

 

 

 

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あらすじ

 

『はつ恋』は語り部であるウルジーミル・ペトローヴィチと家の傍に引っ越してきた隣人ジナイーダとの恋愛模様を描いた恋愛小説である。

この物語は四十がらみの黒髪に白を交えた独身者――本作の語り部であるウルジーミル・ペトローヴィチの過去の回想という形で始まる。

故に以降に語られる隣人ジナイーダとの”はつ恋”はどのような形にしろ失恋に終わるという前提の元に話が進められるわけである。

 

ペトロヴィチは当時16歳の少年であり地主貴族の子だった。彼には母と、その十も年下であり美男子である父がいた。父は財産目当てで母と結婚していたのだった。

隣人のジナイーダは21歳でありペトロヴィチから見ると五つ年上だった。彼女の家は貧乏貴族であり彼女の母である侯爵夫人と小間使いと暮らしていた。

ジナイーダをペトロヴィチの母は後に『男たらし』と罵る。これは非常に的を射た発言で彼女の回りには常に眷属とでも呼ぶべき取り巻きの男達の姿があった。出会った側からジナイーダに魅了されるぺトロヴィチもまた彼女の眷属になっていく。

 

あるとき、彼女の様子がおかしいことに従者達は気がつく。そうして誰もが確信する。ジナイーダが恋をしていることに。それが自分達のなかにいるのか、他の男なのかは定かではないかそれだけは確かであると。

ぺトロヴィチは夜間、木の上に登りジナイーダを監視するようになる。監視が何日が続いたある夜、彼女のもとへと忍んでいく男の姿を目撃する。しかし驚くべきことにその男は父親だった。

彼女と父親との関係は次第に明るみに出るようになり、ぺトロヴィチの一家は引っ越しを余儀なくされた。

それから四年たったある日、ぺトロヴィチはかつてジナイーダを囲っていた一人の男に出くわす。彼はジナイーダが役所勤めの男と結婚し、近くのホテルにいるのだと言う。

会いにいこうと思うぺトロヴィチだが、予定が会わず面会を申し込みに行ったときには話を聞いてからすでに二週間が経っていた。

そこで彼は入り口番から驚くべき言葉を聞かされる。ジナイーダは四日前に産のために死んだのだと。

 

ぺトロヴィチの『はつ恋』はそこで終わる。

 

 

 

 

ジナイーダの魅力について

 

ジナイーダがとにかく魅力的である。

上記のあらすじの中でジナイーダに従う男達のことを僕は『眷属』と表現したがこの言葉は当然作中には一回も出てこない。でも、現代のオタク的には眷属が一番近いニュアンスを得られそうな気がしている。

そのくらいジナイーダが魅力的なんですよ。一言でのべるなら『近所に住んでるえっちなお姉さん』なんですけど、別に眷属の誰かと関係を持っているわけでもないし、そこまで色仕掛けのようなことをしてくるわけじゃないんですけど、まあとにかくえっちなんですよ。

16歳のぺトロヴィチが夢中になっちゃうのは分かるんですけど、軽騎兵の青年から医者詩人、40過ぎの伯爵までもを虜にしているのだから彼女にカリスマ性があるのは疑いようがない。

 

俺の知ってるキャラの中だと多分FGOのメイヴが一番近い気がする。

 


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彼女の家にやってくる男という男は、みんな彼女にのぼせあがっていたし、彼女の方では、それをみんな鎖につないで、自分の足もとに飼っていたわけなのだ。そうした男たちの胸に、あるいは希望を、あるいは不安を呼びおこしたり、こっちの気の向きよう一つで、彼らをきりきり舞いさせたりするのが(それを彼女は、人間のぶつけ合い、と呼んでいた)、彼女には面白くてならなかったのである。しかも男たちの方では、それに抗議を申し立てるどころか、喜んで彼女の言いなりになっていたのだ。溌剌として美しい彼女という人間のなかには、狡さと暢気さ、技巧と素朴、おとなしさとやんちゃさ、といったようなものが、一種特別な魅力ある混じり合いをしていた。彼女の言うことなすこと、彼女の身ぶり物ごしのはしはしにも、微妙な、ふわふわした魅力が漂って、その隅々にまで、他人には真似のできぬ、ぴちぴちした力が溢れていた。彼女の顔つきも、しょっちゅう変って、やはりぴちぴちしていた。それはほとんど同時に、冷笑を表わしもすれば、物思いを表わしもし、情熱の表情にもなるのであった。

 

上記の描写とか結構”ぽい”気がしてる。メイヴ好きの知人曰く「一番欲しいものを手にいられない強い女」ってところが好きらしいんですけど、ジナイーダには近しいものを感じる。

 

 

 

 

 

この物語の素晴らしい点は結末として(読み順的には冒頭がということになるのだが)ペトローヴィチはおそらくこのはつ恋に縛られた結果、40過ぎにも関わらず独身者として存在しているということである。

ラスト直前別れる前のジナイーダにぺトロヴィチが言った『ジナイーダ・アレクサンドロウナ、あなたがたとえ、どんなことをなさろうと、たとえどんなに僕がいじめられたろうと、僕は一生涯あなたを愛します、崇拝します』の言葉通り、その”信仰”は現在進行形でペトロ―ヴィチの人生を蝕んでいるのである。人生のどこかで彼がジナイーダと話す機会があれば、その信仰もまた過去のものになったのかもしれない。

しかしながらその機会すら失ってしまった今、その信仰はこの世に存在する何よりも美しく、そして何よりも醜悪だった。そのペトローヴィチの姿を憐憫に思うと共に僕は酷く共感を覚えるのである。