ペットボトルロケット

創作物を咀嚼しては、ただ面白いとだけ吐き捨てた。

夏目漱石『抗夫』

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読んでいる途中から「この作品つまんなくない?」とは思っていてカップ麺のフタとして一生を終えさせてやろうかとも思ったのだけれど、終わりまで読み切らなければ面白さが分からないだろうというオタク特有の考えと、貧乏性も相まって最後まで読み切った。結果としてつまなかったのだが巻末についていた解説を読んで納得した。

この『抗夫』は新聞の連載作品として掲載されたのだったが、元々漱石が寄稿する予定はどうもなかったらしい。本来寄稿すべき予定だった作家があまりにも筆が乗らず、連載の目途も立たないというところで急遽漱石に白羽の矢が立ったというわけである。

とはいうものの漱石自身特別掲載しようとしていた作品があったわけでもなく、頭を悩ませていたところ当時書生をしていた人間の過去を小説いしようと思い立った、というのが大雑把なのだがこの作品が生まれるに至った経緯である。

そのためこの作品はおはなしとしての基本原則起承転結であるとか、そういった小説が物語であるがためのストーリー性の全てが欠けている。ただ一人の裕福な家庭に生まれた若者がわけあって出家し、抗夫になろうとする事実を淡々と綴り続けているだけである。

解説には漱石がこの話を小説として体を成すためにどういう技法を編み出したのか、この経験がなければ後の三四郎以降の作品はなかったのではないか、そういう意味でこの『抗夫』は漱石の作品の歴史において非常に重要な作品と言える。というような話をしていたが、そんなものはただの一人の本読みである僕には関係なく、この作品はストーリー性の欠如した駄作である。もしかしたら更なる被害者が生まれることを未然に防げるかもしれないのでこの文章を読んでいる人たちには言っておくが『抗夫』の正しい用いり方はカップ麺の蓋であり読書のためのものではないとハッキリと述べておく。読むのは他の漱石作品を全て網羅してからでも遅くはないと思うよ。マジで。

 

 

 

 

でも、こんな愚痴だけだとちょっとつまらないからちょっと関係ない言いたいことを書くよ。

漱石の作品は他に『坊ちゃん』『吾輩は猫である』『こころ』くらいしか読んでないからなんとも言えないんだけど『こころ』はすごい好きなんですよね。ただ、この作品って現代において死ぬほど損してる作品だと思うんですよね。だって教科書に載ってるじゃないですか。しかも一部分だけっていう。

一応知らない人のために書いておくと『こころ』は三部構成の作品なんですよ。一部と二部で『先生』と呼ばれる人間が語り部から見て申し分ない知性と品性を持ちながらも常日頃「自分はつまらない人間です」であるとか「許されない罪を犯したのですよ」みたいなことを言うんですけど、それが明かされるのが三部なんですよ。で、教科書に載ってるのがこの三部なんですよね。いやホントバカなんじゃないかなって思いません? で、これ読んで漱石のこころを分かった気になってるやつが大半なんじゃないかと思うんですよ。いやホントバカなんじゃないかなって思いません?

Kと先生の関係とか、正直俺はどうでもいいと思っていて『先生と語り部の関係性』『先生と妻の関係性』辺りがこの作品の肝要だと思っているし。

勿論三部から読んで一部と二部を読むっていう導入にうまく出来るなら別に順序逆でもいいとは思うけど、人間「なんとなく自分が知っていると思い込んでいるもの」って結構手を出さないじゃないですか。俺自身そういうところはあるし。例えば学生の頃に結構映画見たつもりでいるんですけど、何かのゲームのながらとかで見てたことが多いせいで殆ど印象に残ってないんですよね。でも「〇〇を観た」っていう実績は自分の中で解除されてるし、再度見ようとする気ってあんまり起きないんですよね。なんならながらだからこそ「あんまりおもしろくなかった」みたいな印象が強いですからね。

ひと昔前に問題になった漫画村とか、或いは合法的なサービスでも最近はNetflixとかamazonprimeのビデオとかあるじゃないですか。ああいうのってまあ「数を読む(観る)程、得をする」っていうコンテンツだと思うんですけど、そうやってながら消費してしまって「消化した」っていう実績だけが残ってしまうのが一番恐ろしいことだと個人的には感じる。まあ漫画村とかはそもそもアレだけど、でも極論消費者側からすると関係ないっちゃないわけじゃないですか。でも、そういう視点では非常に危険なものだったと思う。全然関係ない話になっちゃったけど、漱石の『抗夫』を読むくらいならホント時間の無駄なんで『こころ』を読んでくださいって話でした。教科書で読んでつまんなくても面白いから! 頼むよ!